街道かわら版-善光寺街道通信紙-

葦木啓夏(Hiroka Ashiki)

2009年04月15日 07:41


先日、日曜日の日、麻積村に行きました。
目的は善光寺街道を歩く打ち合わせなんですが・・・
善光寺街道を祈りの道として再生する活動をされている小瀬佳彦さんに
お会いしてきました。小瀬さんは善光寺街道協議会事務局代表です。
驚くべきは信州Ryo-ma倶楽部の世話人・三澤広樹さんの義理のお兄様。
世の中、なんて狭いのでしょうか。驚きました☆
その場では、小瀬さんから善光寺街道を歩く価値などをお話いただいたのですが
興味深いお話が次から次へと飛び出して来ました。



究極はそこでいただいた「街道かわら版」を読んでみてそこに書いてあったことなのですが・・・
善光寺寿量院住職の小山健英さんの講演の内容です。

以下、抜粋
自分自身に期待しすぎていないか
私たちの人生は悲劇です。メロドラマでも喜劇でもない。常に豊かな明日があるという生き方は間違いです。この世の中で生きていく私たちは「悲しい存在」なのです。にもかかわらず、私たちは自分自身に期待し過ぎていないか。自分に期待するということは他人にも社会にも期待しているということになります。「善光寺に来れば死んだ人に会えるんじゃないか」そういう思いで歩いたのが祈りの道なんです。その人たちを迎えて、送りだした、街道に住む人たちの素朴で美しい心。そういうところに私たちの祈りは発生してきた。ここにには古くからの生き死にの積み重ねがあり祈りがあった。」

 「私たちは自分に期待するあまり、豊かに、大きく、強く、美しくと望みます。はたして縄文人や善光寺へと歩いた人はそんなことを考えたか。私たちは日常は貧しくて小さくて、弱くて、醜いもの。それであたりまえです。それに対して豊かで、強く、大きく、美しくと望むのを"夢"と言います。人が描く夢を"儚い(はかない)"というのです。」

みなさん、どうでしょうか。
私はこのお話をみなさんに押し付けるということではなくどう感じられるのか興味があります。

私の率直な感想は「昔の人たちが善光寺を目指し歩くというのはとてもシンプルな祈りだった」
ということです。人の生き死にが日常の中にあり、死者、先祖たちへの想いが普通にあった時代の人の祈り・・・。
私はこのお話を読んでかなり鮮明になってきたような気がします。
私たち信州人の役割っていうのかな?!

私はこのシンプルな祈りの心・・・今こそ大切になってきたと感じます。
私自身に、そして信州の街道・宿場にその素朴な祈りの心が帰ってくるように・・・
この秋、善光寺街道80kmを歩き、善光寺を詣でたいと思います。

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