2011年3月11日 14時46分。
東北地方・太平洋沖大地震。犠牲者のみなさんへの哀悼を深く捧げます。
そして、一刻も早い復旧とこれ以上被害が広がらないことをお祈りしています。
まさにその瞬間、私は心が震えていました。
先日、
2分の1成人式で自分の目標を語った原小学校4年生
10歳の笑助人の子どもたちが、この町学園という知的障害者ケアハウスに
交流に行き、一生懸命彼らのために歌を歌っていた真っ最中だったのです。
笑助人(えじょじん)という聞き慣れない言葉。
それもそのはず。これは4年1組のみなさんが作った言葉で
笑顔で、
助け合い、
人のためになる人のこと。3年生の頃からの
クラス目標で、1年間そうゆう人になるための努力を子どもたちは続けてきました。
総合学習の時間には身近な地域で笑助人として活動してると思う大人を招き、
課外授業的にいろんなことを学んできました。
そして、昨年4年生になった時から、その学んだことを地域に返していこうと
「笑助人発信!」ということで、福祉施設や、保育園や、病院に
目の前の人に笑顔になって欲しいという思いで訪問・交流し
自分たちでつくった劇や、音楽を楽しんでもらっていたそうです。
本当にすばらしいことをしている子どもたち。本人たちの意志と、
担任の瀧澤先生の導きと、ご両親のみなさんのサポートと、どれが欠けても
成り立たないと思います。私は「笑助人発信!」の現場を見たことが無く
どうしても行きたいと感じ、最後の発信の機会に参加させていただいたのです。
この日はちょうど、いつも下関のコンサートなどでお世話になっている
高岸春幸さんが信州に来てくれていたので一緒に見に行きました。
笑助人の授業のコーディネーターをされた
小林節子さんも応援に来ていました。
名司会からスタート!
子どもたちが台本をアレンジし、自ら考え、衣装をつくり、舞台装置をつくり
みんなでつくりあげたという演劇
『どろぼう学校』、『水戸黄門』。
笑いあり涙あり、とってもよくできてましたね!
この中から役者、でてくるだろうなぁって思うくらいみんな好演技!
そして前に引っ込み思案だった子が大きな声で舞台に立ってる!
笑助人になるために、この一年間でたくさんのことを感じ、学び、
本当にみんな成長してきたのだなと感動しました。
全員で合奏『エール』。
そして合唱。その一生懸命な歌声に感激し私の目からは涙がぽたぽた。
そのうちに運命の14時46分になり、ぐらんと揺れはじめ、
最初のゆれに子どもたちは気づかず歌い続けました。私も誰かが嬉しくて
飛び跳ねたのかなぁ・・と思っていたら
建物自体が船のようにぐらんぐらんと揺れました。
「地震だ!みんな頭を下げて!」 「わ〜!!!」
幸い広いスペース。天井からの落下物もなく助かりました。
「こわかった〜!」とみんな口々に言いながらも、歌をもう一度しきりなおして
歌ってくれました。
最後はこどもたちと美咲がいっしょにつくった『笑助人のうた』。
サビのフレーズに
♪ 笑助人になろうよ 嵐の日でも
笑助人になろうよ 太陽のように〜♪
とありますが、まさに彼らは地震の日でも最後まで目の前にいる人に喜んで
もらうために歌いきった真の笑助人だったなぁと感銘を受けました。
交流会終了後・・・テレビ越しに見たその映像はまるで映画のようだった・・・
唖然と、ただ唖然とその様子を見つめるしかない自分がもどかしく悔しかった。
村が、町がのみこまれ、愛したふるさとが消えていく
その姿をただ見つめるしかない生存者のみなさん。
飲み込まれ流されていった犠牲者のみなさん。
胸が苦しかった。悲しみでいっぱいになった。
自然の前では人間は小さく弱く儚いものだなぁと・・・。
いや、私はもともとそうだったことをすっかり忘れていたんだ。
自然への畏怖の気持ちを。
「なぜ生き残ったのか考えなさい。」これは特攻の母と言われた鳥浜トメさんの
残してくれた言葉が今、胸に響いてきます。。
そして、どんなときでも、笑顔で、助け合い、人のためになるという精神を持った
この子どもたちは、未来の希望であり宝物だ!と心底思います。
全部のことを受け入れて、どんな些細なことでもいいから自分に出来ることを確認して
己の役割に生きることが、生き残った者のすべきことなのかなと感じます。