2013年08月13日

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。


今日8月13日(旧暦七夕・迎え盆)は、中ッ原縄文公園(中ッ原遺跡)で
【Chino縄文遺跡コンサート&トーク】でした。
今回、私は「茅野市 縄文ふるさと大使」就任後、初仕事となりました!

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

ここが、中ッ原縄文公園です☆
今日のマツリの舞台となりました。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

遺跡内には、三内丸山遺跡に負けないくらいの迫力のある8本の立柱。
建物跡であるのか、マツリのモニュメントとして立てられたのかは
謎だそうです。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

中ッ原遺跡内で発掘された重要文化財「仮面の女神」(縄文時代後期前半)
が出土したままの形で保存展示されています。
(仮面の女神はレプリカですが。本物は尖石縄文考古館で出会うことができます。
でも採掘跡や、土は本当に出土したときのその土、その状態です。)
隣の逆さまになった鉢は、亡くなられたこの土地の有力者の方の顔に
被せていたものです。そう、つまりお墓が公開された状態になっていて
そのお墓の中で、仮面の女神は見つかったのです。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

大英博物館の土偶展でもメインとして扱われた「仮面の女神」。
当時の人々の精神性の高さを感じる土偶です。
どんな祈りをこめて、この場所に埋められたのでしょうか。。?

信州・八ヶ岳山麓および茅野市には縄文時代の遺跡が沢山あります。
縄文時代は、一万年以上におよぶ戦争のない、自然と共生したとても
豊かな文化が花開いていました。
縄文時代中期「日本の首都」と言えるくらいの人が住んでいたことが
わかっています。そして黒耀石の原産地が近くにありました。
当時の社会において黒耀石は生活の必需品だったため、全国各地から
黒耀石を求めて人々がやってきていました。
中ッ原遺跡は、原産地である霧ヶ峰・星糞峠でとれた黒耀石の
搬出拠点だったそうです。

【Chino縄文遺跡コンサート&トーク】は、そんな縄文のすばらしさ、価値、魅力
ふるさとの宝物を再発見する為に、今回の第一回目・中ッ原遺跡を皮切りに
茅野市内にたくさん存在している実際の「遺跡」から発信するシリーズです☆

今日は、縄文時代を彷彿したかのように、
地元の方、長野県内の方、他地域の方、茅野市関係者のみなさん、
いろんな方が集まり、中ッ原遺跡でのひと時を分ちました。
やはり、遺跡のことを語り、古代の人を想うには
現にその場所へ行き、そこで土地と響き合うことが一番だと感じます。
中ッ原遺跡はお墓の遺跡です。
迎え盆の今日、きっと縄文時代の祖先の方も
いらっしゃり、いっしょにコンサート&トークを
「いやいや、そうゆうこと私思ってない」とか
「お!お前分かってるな」とか言いながら
楽しんでもらえたかなと、勝手に想像してました。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

なお、今回のコンサート&トークは、太陽光で自家発電した電力「光合成LIVE」で
お届けしました。最後までキレイな音で響いてましたよ。

午後2:00〜 スタート
■柳平千代一 茅野市長によるご挨拶
■縄文トーク
またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

今回は特別に、熱き魂を持った茅野市長・柳平千代一さんもゲストにお迎えし、
茅野市文化財課文化財係 係長・小林深志さんと、文化財係の小池岳史さんに
中ッ原遺跡の魅力や、特徴、ムラの形成のされ方、どんなふうな暮らしをしていたのか
土偶「仮面の女神」についてや、「八本柱」の話題で熱い縄文トークになりました。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

茅野がますます縄文の人たちの智恵や生き方を活かした
みんなにとって住みやすい、やさしい故郷になっていってほしいなと思いました。

さまざまな話となったのでまとめきれないですが、映像でアーカイブしたので
後日ご紹介します。そちらを実際に見ていただいて、中ッ原遺跡の魅力に
触れてほしいです☆

■縄文遺跡コンサート
またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

中ッ原遺跡で亡くなられ埋葬された先人の方に想いを馳せ
5曲歌わせてもらいました。

1、太陽の道
2、〜地球〜
3、マドンナの月
4、千年の森の物語
5、ありがとう

ドラムサポート赤羽哲也くん、ありがとうございました。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

きっと古代の人たちの魂は帰ってこられていたんじゃないのかな
そんな感覚になりながら、歌っていました。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

「仮面の女神」がつくられ大地に埋められた縄文時代後期前半は、寒冷期。
八ヶ岳山麓の気候はとても寒くなり、一時(縄文時代中期前半)は
首都くらい栄え人口がいたのに、一気に人がいなくなりました。
中ッ原遺跡を最後に、八ヶ岳山麓から人がいなくなったと聞いたことがあります。

ここからは小池さんから聞いた受け売りと、私の想像の話ですが、
中ッ原遺跡にいた人は、寒冷化してもなお、このふるさとを離れたくなくて
最後の最後まで、どうか気候がまた温かくなるように、大地がよみがえるように
土偶をつくり、再生のいのりを捧げていたが、もうどうにもならず
泣く泣く立ち去る時に、有力者のお墓だった場所に「仮面の女神」を埋めて
「いつになるか分からない。でもどうかこのさきの未来、どうか再び
この大地がよみがえり、ここで人が住めるようになりますように。」

祈りをこめて、ふるさとの中ッ原を立ち去ったんじゃないか?

と私は空想しています。
なんだかその心境と、今、東日本大震災の影響で
ふるさとを亡くされてしまった方の心境が同じなような気がして
東日本大震災が起きた時に鎮魂歌としてつくった「マドンナの月」を
歌わせてもらいました。

きっといつか故郷はよみがえる。現に縄文時代は住めなかった土地だったけど
今は人が再び戻って来て茅野市として住んでいます。
それが何千年先だとしても、未来に祈りを残そうという行為が
大切な気がします。

また想像の話に戻りますが、きっと今日という日は
何千年前からの約束の日だったんじゃないかなって思いました。
「よみがえった我がふるさと・中ッ原。またここで会おう」って。
現代、過去、未来をこえてつながっていた空間。
それを思い出した人たちが、自然と集まってきた場だったんじゃないかなって。

またここで会おう〜Chino縄文遺跡コンサート&トーク〜中ッ原遺跡・報告記。

今日の場をつくるにあたり、昨日の草刈りから
お世話になりました茅野市文化財課文化財係 小林深志係長、小池岳史さん
はじめ茅野市役所のみなさま、お茶とテントをご用意頂いた宮坂貞博さん、
ドラムで参戦くださった赤羽哲也くん、別荘の方に縄文の魅力を伝える為に
ご案内くださった篠原さんのお父さん、
インターネット中継をしてくれた堀あきこさん、
LCV、ビーナチャンネル、信毎さん、報道関係のみなさま
音響と光合成ライブの用意をしてくれた篠原さん、
お忙しい中トークゲストで来てくれた茅野・柳平市長さん
暑い中、中ッ原遺跡に来て下さったみなさま。

縁(えにし)を感じました。
本当に、ありがとうございました∞


☆中ッ原遺跡の魅力に触れられる企画展やってます。
茅野市縄文考古館にて7/13(土)〜11/24(日)まで開催中です。
会期中にギャラリートークもあります!
■10/26(土)10:00〜11:30 13:30〜15:00

☆次回【Chino縄文遺跡コンサート&トーク】は、
10月13日(日)11:00〜
茅野市・尖石縄文考古館敷地内の与助尾根遺跡でやります!
また、チノの遺跡でお会いしましょう♪



同じカテゴリー(報告記)の記事画像
岡谷の街中いたるところがおまつりに。「おかやフェスタ」☆
横井照子ひなげし美術館でコンサートでした。
千年後この森で会おう。立待月の夜のこと。
敬老の日。嵐にもマケズ、茅野市宮川・茅野区敬老会でした♪
下諏訪町・高木区 敬老会でした♪
有賀姓のみなさまと「御柱」で盛り上がりました。
同じカテゴリー(報告記)の記事
 岡谷の街中いたるところがおまつりに。「おかやフェスタ」☆ (2013-10-12 23:59)
 横井照子ひなげし美術館でコンサートでした。 (2013-09-23 16:46)
 千年後この森で会おう。立待月の夜のこと。 (2013-09-22 10:21)
 敬老の日。嵐にもマケズ、茅野市宮川・茅野区敬老会でした♪ (2013-09-16 19:24)
 下諏訪町・高木区 敬老会でした♪ (2013-09-15 15:38)
 有賀姓のみなさまと「御柱」で盛り上がりました。 (2013-09-01 19:57)

Posted by 葦木啓夏(Hiroka Ashiki) at 22:46│Comments(0)報告記史跡・遺跡・考古学
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。