2010年07月21日
祝島(いわいしま)へ。
飯田哲也(環境エネルギー政策研究所・所長)さんにお誘いいただき、
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の舞台、山口県・祝島に行ってきました。
私の目的は曲作りです。
軽トラックのうしろに積んでいただき、現地をご案内いただきました。
氏本農園さんのブタちゃんたち。畑を開墾します。 おぉ!これは!!
こんなに広ーい農園の土地を、全部ブタちゃんが耕したんだそう。すごい!
祝島からみる、「小祝島」。この山は昔、火山で、噴火によって小祝島から祝島が生まれた
という説もあるらしい。この小祝島の付近で、「メバル」「タイ」といった島人の生活を支える
大型魚が捕れるそう。海がとてもおだやか。瀬戸内海の特徴ですね。
山の上から見た、祝島の島人が住む地域。ここに全人口500人余りが暮らしています。
徐福伝説の不老長寿の実「コッコー」がとれる島だけあって、長寿のみなさん、とても元気です!歩いてみました。
写真右、祝島特有の「練壁(ねりかべ)」。そして隣と隣との間の道が非常に近い!
この家と家のあいだの道を「あいご」といい、そこを通り抜ける風を「あいご風」と言うそうです。
空をとぶ飛行機の風見鶏。 見つめあう2人。
はまや旅館さんでいただいた夕食。新鮮なお魚!おいしかった♪
夜から、飯田哲也さんのエネルギーシフトのお話会。島のみなさん、真剣に聞いてらっしゃいましたね。
打ち上げの時に、島人 山戸さんがつくってくださった「岩もずく」の和えもの!
こりこり歯ごたえがあるモズク。採れたてならではですね。季節によってとれる海藻が違うそうです。
ヒジキ、ワカメ、フノリ。新鮮な貝・魚たち。海はたくさんの生命体の大切な住み処。
濃密なひと時をすごさせていただきました。
歌をつくるための凝縮されたエッセンスをいただきました。
島をご案内いただきました山戸孝さん、島のみなさん、お世話になったみなさん、鎌仲さん、粟田さん、竹村さん、篠さん、ハルくん、今回の機会にお誘いいただいた飯田さん、ありがとうございました∞
底までみえる透明で大きな海のような心を、
島のみなさんお一人お一人が持っている気がしました。
祝(いわい)という言葉には、めでたい出来事をよろこぶ。祝賀。ことほぎ。斎。お祝。
不吉なものを避け、吉事を招く。「祈る」「祭る」「崇める」など色々ありますが
「そうではないものを、そうあるように祈る」という意味も、裏側にあるそうです。
この祝島から発信される願いが現実となり、日本そして世界に伝わっていく日を
心からお祝いいたします。
わずかながら、私ができること。良い歌を心を込めてつくりたいと思います。
Posted by 葦木啓夏(Hiroka Ashiki) at 23:51│Comments(3)
│報告記
この記事へのコメント
祝島の「祝」は「ほうり」とか「はふり」とか言われる神官のことを現わしているので、「祝(ほうり)」がいた島ということで「祝島」という説があるそうですね。
そんな祝島(いわいしま)では2004年に島内に古代祭祀遺跡つまり、、磐座(いわくら)が発見されてその動向が一部、注目されてきましたが、この意味は祝島(いわいしま)では大きいでしょうね。「祝(ほうり)」も元をたどれば「磐座(いわくら)」などの祭祀の源流に行きつくわけで旧石器~縄文時代に海人族が持ち込んだ太陽信仰の祭祀拠点(聖地)となってきたところと考えるのが自然でしょう。
その意味では単に海の航行の安全祈願にととどまらない深い祭祀の意味があったでしょうから・・・それが今後の展開の中でひとつひとつ明かされていくのでしょうね。
その手がかりになりそうなのは神功皇后伝説、徐福伝説など。
瀬戸内伊予の村上水軍の基地だったということも含め伊予大祝氏(鶴姫伝説)や河野氏などとのつながりなどや、さらに遡れば、姫島から伊予への黒耀石海運ルート上にあり、旧石器・縄文時代からの交易拠点としての島の機能も浮かび上がってきます。
この「黒耀石」を考えると黒耀石本位制度といわれる当時の独特な経済システムを研究している方もいらっしゃるほど「黒耀石」は石・道具ではおさまりきらない経済的な価値基準でしたので、やはり、その意味で現代でも祝島(いわいしま)には経済・経営感覚に長けた優秀な方が
住んでおられて、その古代から培われた自然との関わりや自立の意志など含めて大変、共感させられることが多くありました。
また島の人たちの穏やかで太陽のような笑顔に癒されました。
ありがとうございました!
そんな祝島(いわいしま)では2004年に島内に古代祭祀遺跡つまり、、磐座(いわくら)が発見されてその動向が一部、注目されてきましたが、この意味は祝島(いわいしま)では大きいでしょうね。「祝(ほうり)」も元をたどれば「磐座(いわくら)」などの祭祀の源流に行きつくわけで旧石器~縄文時代に海人族が持ち込んだ太陽信仰の祭祀拠点(聖地)となってきたところと考えるのが自然でしょう。
その意味では単に海の航行の安全祈願にととどまらない深い祭祀の意味があったでしょうから・・・それが今後の展開の中でひとつひとつ明かされていくのでしょうね。
その手がかりになりそうなのは神功皇后伝説、徐福伝説など。
瀬戸内伊予の村上水軍の基地だったということも含め伊予大祝氏(鶴姫伝説)や河野氏などとのつながりなどや、さらに遡れば、姫島から伊予への黒耀石海運ルート上にあり、旧石器・縄文時代からの交易拠点としての島の機能も浮かび上がってきます。
この「黒耀石」を考えると黒耀石本位制度といわれる当時の独特な経済システムを研究している方もいらっしゃるほど「黒耀石」は石・道具ではおさまりきらない経済的な価値基準でしたので、やはり、その意味で現代でも祝島(いわいしま)には経済・経営感覚に長けた優秀な方が
住んでおられて、その古代から培われた自然との関わりや自立の意志など含めて大変、共感させられることが多くありました。
また島の人たちの穏やかで太陽のような笑顔に癒されました。
ありがとうございました!
Posted by 篠原 at 2010年07月22日 09:29
麦わら帽子、欲によく似合ってますね
しかも軽トラの後ろがGOODです
しかも軽トラの後ろがGOODです
Posted by えつろうマン at 2010年07月22日 09:42
えつろうまんさん、ありがとう★
日差しが強かったけど、風が気持ち良かったです!
日差しが強かったけど、風が気持ち良かったです!
Posted by 美咲
at 2010年07月24日 00:36
