2009年10月25日

武田勝頼は生きていた!?

行ってみました。
定説では甲斐の天目山で死んだと言われている
武田信玄の息子・・・武田勝頼のお墓と勝頼が造ったと言われる史跡の数々。

武田勝頼伝説はこちら土佐では多くの人たちに知られ、ご子孫もご健在・・・
と来れば、諏訪家に関わる地に住む私とすれば一度は訪れてみなければいけません。
武田勝頼は、武田信玄と諏訪家のお姫様の子供。
勝頼が生き残っていたとすれば武田家と諏訪家の末裔が
土佐にいらっしゃることになりますね。

というわけで、早朝6:00に岡山を出発し現地に着いたのが朝9:30頃、
武田勝頼土佐の会」の岡林誠さんに
ご案内していただきました。岡林さんは、勝頼が造ったとされる
大崎八幡宮の宮司さんでもあります。ご丁寧な説明には本当、感謝でした!

武田勝頼は生きていた!?

岡林誠さんと鳴玉神社に。
ここは勝頼と奥様のお墓がありました。

武田勝頼は生きていた!?

勝頼が造ったとされる大崎八幡宮。
なんとここは甲斐・韮崎の武田八幡宮から勧請されているという
超珍しい八幡宮でした。私も甲斐の武田八幡宮には一度、行ったことはあります
管理がされていなくて荒れに荒れていましたので・・・
武田八幡宮から勧請された神様、武田家の祖先などが
土佐で丁寧に祀られていたのには本当、感動しました。

やっぱりというか、なんというのかわかりませんが、
本々、ここには磐座があり、その古代の太陽信仰の聖地につくられた
神社だったということも解り・・・勝頼の母との関係が指摘される
岡谷の小坂観音院とは古代からの太陽信仰の聖地という点に共通性を感じました。

武田勝頼は生きていた!?

ひょうたん桜。
勝頼がここに訪れて杖をついて高遠から持ってきた桜の種を撒いたとされる場所。
樹齢400年の桜の木は見事でした。
ここに「杖をついた・・・」というところがポイントですね。きっと。

武田勝頼は生きていた!?

お昼御。仁淀川温泉 ゆの森 で食べた「田舎定食」・・・
あめごの煮付け、さしみこんにゃくなどなど。
とても美味しかったです!

武田勝頼は生きていた!?

武田勝頼の菩提寺だとされる流光山成福寺(跡)には、
観音堂(江戸期建立)がありました。
この地は秦氏の子孫とも言われている長宗我部氏がいた土地とのこと。

武田勝頼は生きていた!?

観音堂の崖下には仁淀川が流れています。
この付近は岩場で水底近くには
龍がとおる穴があるというお話でした。
信州では木曽路の寝覚の床を思わせる風景です。

岩場の上に立つ神社・・・
崖の上のお寺・・・
龍が住む世界(龍宮)に通じる穴・・・
このすべてが龍宮伝説を連想させてくれました。

岡林さん、いろいろ案内してくださりありがとうございました!

武田勝頼は生きていた!?

そして今は、仁淀川の河口付近の宿にいますが竜岬が見えるところです。
海と上流域との関係を考えると、
遠州の海と天竜川上流域や・・・
伊勢湾と木曽川上流域のように・・・
水と森の大きな循環を表している「龍神信仰」という部分もあるかな?
と感じました。

竜岬の近くにある竜の浜。
海の遠くニライカナイの世界やってきたという、沖縄のミロク信仰にも
なんだかどこか、通じている気がします。

とにかくこの数日やたら龍・竜だらけです。
明日は坂本龍馬関係の史跡を巡ります☆



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Posted by 葦木啓夏(Hiroka Ashiki) at 17:30│Comments(3)史跡・遺跡・考古学
この記事へのコメント
信州には飯綱権現がらみの話で勝頼と八重垣姫の物語が残されてますが
そこらへんの話とのシンクロを感じる場所でしたね。
勝頼の父 信玄は川中島合戦にどうしても勝利したくて
子孫七代まで呪われるやもと言われる呪術を試したと言われていていますが
この地に残されている踊りや伝説も含めてなにか関係がありそうです。

岡林さんには本当、大変、お世話になりました。
ご丁寧な説明には感服いたしました。
Posted by 篠原 at 2009年10月27日 20:51
過日は、この仁淀川町に来て頂き、大変嬉しゅうございました!

土佐に落ち延びた勝頼の史跡案内をさせて頂いてありがとうございます。

竜宮伝説、大山祇神社の事などなど、大変興味深い話がきけて良かったです、また土佐へ来る事がございましたら、ぜひ仁淀川町へも足を運んで頂ければ幸いです!

ありがとうございました。

武田勝頼土佐の会
岡林 誠
Posted by 岡林誠 at 2009年10月29日 16:45
こちらこそ本当、いろいろ勉強になりました。
翌日、土佐神社でお話を聞いたところでは
長宗我部氏と稲荷はあまり結びつかないようですね。

伊予の大三島の鶴姫伝説、
各地に残されている竜宮伝説は確かに面白いですね。

また伊予の大祝と諏訪の大祝の関係ともなにか面白い
展開が見つかるかもしれませんね。
ひょっとしたら徳島のタケミナカタ伝説・中央構造線(龍脈)とも
関係があるかもしれません。

「ひょうたん桜」を起点(杖)にして
いろいろ考えていくと新しい視点が見つかるかも
知れないなと思いました。

また大祝関係の史跡も諏訪地方に多くあるので
ぜひ、こちらにお越しの際はご連絡ください。
ご案内させていただきたく思います。

この度は本当にありがとうございました!
Posted by 篠原 at 2009年10月31日 12:38
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